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「無条件で愛する」ことは本当に美徳なのか?-無償の愛の真実とは-

無償の愛とは、無償の愛とは、"無条件で"人を愛することと言われています。相手の悪い所もひっくるめてすべて愛することですね。

最も美しいとされている愛情ですが、このどんな状況でも愛する「無償の愛」という理想に苦しめられて、自己嫌悪や疑心暗鬼に陥っている方は一定数いるのではないでしょうか?私はその一人です。

無条件に人を愛するなんて、どう考えても恐ろしい。でも「無償の愛」を信じられない自分は醜いのでは…

今回は、そんなモヤモヤとした自己嫌悪が解決されるように、「無償の愛」について調べていきたいと思います。

「無償の愛」を信じる人々は多い

参考: 無償の愛とは?本当にある?言葉の意味、相手に見せる行動まで実体験を交えて解説|結婚相談所なら【ゼクシィ縁結びエージェント】

あるアンケートで、「無償の愛」はあると信じるかどうかを尋ねたところ、7割の人が「信じられる」と答えました。

参考: 「無償の愛」の意味とは? 無償の愛を与えられる人の特徴や愛されるためのコツも知ろう | Oggi.jp

「無償の愛」を信じている人がこんなにも多いと、「無償の愛を信じられない自分は、最低な人間なのか……」と思ってしまいますね…。

でもどう考えても「”どんなことが起きても”見返りを一切求めずに人を愛する」なんて怖すぎますよね。

「無償の愛」がもし存在するなら「狂気」である

  • 私は相手を愛しています
  • でも、相手は自分を殺そうとしています
  • 相手は自分に罵詈雑言を投げかけ続けています
  • 相手は自分の財産をすべて盗みました

そんな相手を愛せますか??

「愛せます!」とか即答したら、その人怖くないですか?どう考えても狂ってますよね。

でもこの狂気が、最も美しいとされる理想「無償の愛」なんです。無条件に人を愛することなんです

もう1つ例を挙げますね。

  • 彼女「どんな私でも好き?」
  • 彼氏「うん。大好きだよ。どんな君でも好き」
  • 彼女は彼を殺しに来ました。彼はもう彼女を愛せません

この後彼女は「嘘つき」って言うでしょうね
彼が「どんな君でも好き」って言ってしまっている以上、彼女の方が正論で、彼は嘘つきなのです

自分を殺さないのならば好きというのは、すでに「どんな君でも」という定義から外れているのです

気軽に言える言葉ではありません

もし本当に、「無償の愛」がもし存在するなら「狂気」ですよね。

ここまで読んで、それでも「無償の愛」は存在すると思っている人は、無償とは言ったが、実は無条件ではないということに気付いているんだと思います。

実は、「無償の愛」は無条件ではない

「無償の愛とは何ですか?」 chatGPTに聞いてみました。

無償の愛とは、相手に何かを期待せず、ただ純粋に相手を愛することです。これは、相手の欠点や不完全さを受け入れ、相手がほとんどどのような状況にあっても、常に支え、尊重し、慈しみ、ケアすることを意味します。

無償の愛は、自己犠牲的な愛と混同されることがありますが、これは異なる概念です。自己犠牲的な愛は、自分自身を犠牲にして相手に尽くすことを指し、無償の愛は、相手を尊重し支えることを指しますが、自分自身のニーズや欲求を無視することではありません。

無償の愛は、家族や友人、パートナーなど、様々な関係で表現されることがあります。これは、相手との関係を深め、相手をより理解し、受け入れることによって、お互いに豊かな人生を送ることができるためです。

無償の愛は、自分自身を犠牲にすることなく、可能な範囲で相手を愛することを指します。自分自身のニーズや欲求を無視することなく、相手のニーズや欲求を受け入れ、支え、尊重することが大切です。つまり、自分自身を大切にしながら、相手に対して心からの愛情を注ぐことができます。

「無償の愛」であり、「無条件の愛」ではないのです。

「無償の愛」は、ある程度の条件を満たしていれば、自分に得が無くても愛するということなのです。

まぁ、たぶん相手によって幸福になれたりとか、自己肯定感が上がるからとか、目に見えない得があるから愛するので、本当に「無償」かといえば微妙ですが

でも、愛される側にとっては、相手の好意に対して何かを返す必要はないので「無償」となりますね

まとめると

  • 相手が何も返さなくていいだけ
  • 基本的に自己満足の世界
  • 相手がどんなでも愛するとは言ってない
  • 愛する条件は、比較的ゆるい

これが「無償の愛」について、拡大解釈もなく、比較的正しい解釈なのではないかと思います。

自己肯定感とか幸福感っていう得もありますので、これなら狂気ではないでしょう。

まとめ

  • 「無償の愛」を信じられないからといって、自己嫌悪に陥る必要はない
  • そもそも思い描いている「無償の愛」は拡大解釈された「狂気」かもしれない
  • 「無償の愛」は、本当は条件付きの愛である。条件はゆるめで、相手によるお返しは不要

これなら存在しそうだな。自分にも「無償の愛」はありそうだな
意外と自分は、思っているほど醜くないんじゃないか?
って安心できたんじゃないでしょうか?

でも「どんな私でも好き?」「どんな君でも好き」は、質問する方は重いし、回答する方は狂気か嘘吐きですよ(*ˊᵕˋ*)🔪