これはマドルチェ界隈衝撃の情報です。
マドルチェの元となったモデルを紐解いたら、「マドルチェ・プティンセスール」が本当は妹ではなく、弟だったかもしれない可能性が浮上しましたฅ(º ロ º ฅ)
ところで、みなさんは「お菓子」に関連する言葉で、一番有名な言葉といったら何を思い浮かべますか?
多くの方が「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」を連想するのではないかと思います。
この言葉は、フランスの有名な王女「マリー・アントワネット」の名言として広く知られています。(実際には彼女が言ったわけではないそうですが)
今回は、彼女にまつわる歴史から、マドルチェのモデルとなった人物を考察していきたいと思います。
- マドルチェ一家のモデルは、マリー・アントワネットの家族
- マリー・アントワネットを描いた王女ティアラミス
- マリー・アントワネットの娘「マリー・テレーズ」を描いた長女プディンセス
- プディンセスにそっくりな妹プティンセスールは、テレーズにそっくりな養女ランブリケ説
- プティンセスールは、テレーズの弟ルイ・シャルル説
- クロワンサンは、テレーズと亡命生活を供にした愛犬ココ
- マリー・アントワネットから考察するマドルチェまとめ
マドルチェ一家のモデルは、マリー・アントワネットの家族
- ティアラミス…マリー・アントワネット
- プディンセス…マリー・テレーズ
- プティンセスール… ルイ・シャルル
どうしてそのような結論に行きついたのか、一人ひとり詳しく見ていきましょう。
マリー・アントワネットを描いた王女ティアラミス
マリー・アントワネットは、ファッションにジュエリーが大好物の典型的な宮廷っ子でした。
お抱えジュエラーバプストに豪華絢爛なジュエリーを作らせ、ダイヤモンドや色石をふんだんに使用したリング、首飾り、パリュールなどを楽しんで、日々のストレスを癒していました。
宝石と例えられるマカロンを大量に散りばめたり、豪華な装飾に彩られるティアラミスの姿は、ジュエリーを楽しむアントワネットによく似ています。
また、アントワネットは自分専用の庭園「王妃の村里」を作って、一人静かに動物たちを眺める田園生活の風情を楽しんでいたとも言われています。
植物に囲まれ、多くの動物たちと戯れるティアラミスの姿は、そんな彼女のひと時を表しているのだと思います。
彼女が愛した王妃の村里「プチ・トリアノン」には、「マドルチェ・サロン」のモデルと思われるサロンが存在します。
また、個人的にはあまり着けていて欲しくはないですが、アントワネットが断頭されるきっかけとなった詐欺事件「首飾り事件」の首飾りをモチーフとしたと思われる装飾も描かれています。
マリー・アントワネットの娘「マリー・テレーズ」を描いた長女プディンセス
マリー・アントワネットには、フランス最後の王女となった金髪の愛らしい長女「マリー・テレーズ」という子供がいました。
テレーズの幼少期は、プライドが高く大人ぶっていて生意気な性格でしたが、それでも人々からとても愛される女の子だったようです。
母のアントワネットは、パニエの無いモスリンのシュミーズ・ドレスを好み、王妃にふさわしくない衣装だとスキャンダルになることもあったのですが、娘のテレーズは幼い頃から、自分の体重と同じぐらいの重さのパニエを好んでいました。
身分の高い女性がティアラをするようになったのは、アントワネットが死亡したフランス革命後のことです。
そのため、母アントワネットはティアラをつけていませんし、後に王女として戻った娘テレーズはティアラをつけています。
同様に母ティアラミスはティアラをつけておらず、娘プディンセスはティアラを着用しています。
ティアラミスはティアラを着用していないにも関わらず、名前に「ティアラ」と付くのは、アントワネットとテレーズに気付いてもらうためかもしれません。
プディンセスにそっくりな妹プティンセスールは、テレーズにそっくりな養女ランブリケ説
プディンセスのモデルとなったテレーズには、彼女と瓜二つの姉妹「マリー・フィリピーヌ・ド・ランブリケ」がいます。
元々は、テレーズの遊び友達として迎えられた子だったのですが、彼女の母が亡くなるとアントワネットが彼女を養女にし、テレーズと姉妹になったのです。
しかし、この説では、テレーズとランブリケが同い年で、ランブリケの方が生まれが早いことから、プティンセスールが「プチスール(妹)」では無くなってしまいます。
そのため、ランブリケがプティンセスールのモデルである可能性は低いかと思います。
しかし、プディンセスと瓜二つであるという点は一致しているので、もしかしたら参考にしているかもしれません。
プティンセスールは、テレーズの弟ルイ・シャルル説
もう1つ、こちらの方が有力であると考えられるのが、プティンセスールのモデルは妹ではなく、弟ルイ・シャルルではないかという説です。
アントワネットには4人の子供がいました。
プディンセスのモデルと思われる長女のテレーズ、長男のジョセフ、次男のシャルル、次女のソフィーです。しかし、長男ジョセフは結核にかかり7歳で亡くなり、ソフィーは生後10か月でなくなってしまいました。
アントワネットの元では、長女テレーズと次男シャルルの二人が育つことになりました。
プディンセスのモデルとなったテレーズには、7歳年の離れた弟ルイ・シャルルがいました。陽気で優しいシャルルは8歳の時に家族と引き離され、非人道的な扱いを受けます。
マドルチェの世界では苦しい事や悲しい事はすべて取り払っているので、家族と一緒に暮らしていた元気なシャルルが、プティンセスールとして描かれているのだと考えられます。
家族と一緒に暮らしていたころは、まだアントワネットなどの国王一家の待遇は良く、庭への散歩も許可されていました。「マドルチェ・プロムナード」のプロムナードとは、フランス語で「散歩」を意味しています。
姉テレーズと一緒に、叔母エリザベート王女から数学を教わっていたシャルルの様子が、マドルチェ・サロンで描かれています。
そのため、「ティーチャーマドルチェ・グラスフレ」のモデルは、叔母のエリザベート王女(マダム・エリザベート)であると導き出せます。
クロワンサンは、テレーズと亡命生活を供にした愛犬ココ
国王一家に同情した職員からシャルルに、エスパニエル犬が贈られます。
温厚で純情な性格な愛犬ココを、シャルルはまるで弟のように大切にしていました。
ココは後に、生き延びて釈放された姉テレーズの亡命生活を供にしています。
テレーズとシャルルに癒しを与えた愛犬ココをモデルに、マドルチェ・クロワンサンが生まれたということですね。
また、「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉は、「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」「パンが無ければ、クロワッサンを食べればいいじゃない」という変形もあり、そこからクロワンサンという名前が付けられたのでしょう。
マリー・アントワネットから考察するマドルチェまとめ
以上、マドルチェのモデルは、マリー・アントワネット説で考察していきました。この説で考えていくと、各キャラクターのモデルになったのは
調べれば調べるほど類似点が多く、マドルチェのモデルが、マリー・アントワネットであるという説は、けっこう信憑性が高い説なのではないかと思います。
次回はこの説を元に、マリー・アントワネットと関わりが深い「マドレーヌ」から、マジョレーヌ達の考察をしていきますので、ぜひそちらも読んでみてください。
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