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【プロセカ考察】まふゆママは、人前で泣いてしまうほど疲れ切ってしまっている説

今回は、「プロジェクトセカイカラフルステージ feat. 初音ミク」に登場する、朝比奈まふゆの母親(通称まふゆママ)について考察をしていこうと思います。

娘の気持ちを尊重せずに自分の価値観をナチュラルに押し付けてしまう、ロジハラ(ロジックハラスメント)教育を行ってしまう母親ですが、ただのヤバい母親ではなくまふゆが慕うだけの何かがある母親なのだと私は考えています。

今回は、フェニックスワンダーランドでまふゆが迷子になってしまった『迷い子の手を引く、そのさきは』の回想シーンから、その何かを考えていきたいと思います。

大衆の前で泣いてしまう程に、心がすり減っていた説

イベントストーリー『迷い子の手を引く、そのさきは』では、娘が迷子になり不安からか涙を流してしまう場面があった。

まふゆ母「もしまふゆがいなくなってしまったらと思ったら、お母さん、とても悲しい気持ちになって……胸がぎゅっとして……とっても、怖かった……本当に……っ」

まふゆ「ご、ごめんなさい。おかあさん……!泣かないで、わたし、わたし…………おかあさんが泣くの、やだ……っ

まふゆ母「……まふゆは、優しい子ね……まふゆが、お母さんの言うことをちゃんと聞くいい子だったらお母さんも悲しくないのに……」

まふゆ「おかあさん……ごめんなさい……っ。いい子に、する……!ちゃんとおかあさんの言うこと、聞くから……!」

まふゆ母「まふゆ……--ふふ、大丈夫よ。まふゆがいい子になってくれたから、お母さんも悲しくなくなったわ」

この会話からは以下のことが考えられる

  • ①まふゆ母は、娘が『いい子』になるように、教育としての噓泣きをした
  • ②まふゆ母は、多くの人間がいる遊園地内で、本当に泣いてしまっていた
  • → まふゆは、母親を心配させて泣かしてしまう『悪い子』にならないように『いい子』になろうとする

①まふゆ母は、娘が『いい子』になるように、教育としての噓泣きをした

遊園地という大勢の前で泣くのは、大人にとっては恥ずかしいものです。

だから、まふゆ母は実際には泣いておらず、嘘泣きをしたというのが考えられます。

親の嘘泣きというのは、子供を「大事なママを泣かせてしまった」と不安にさせ、子供はその不安感から、親を泣かさない『いい子』になろうとする効果があるようです。

しかし、この方法は、子供の心に悪影響を与えたり、嘘であることは成長すれば必ずバレるということで、一般的に親の嘘泣きは止めた方がよい叱り方とされています

遊園地内には子連れの家族も大勢いるはずなので、このような教育をしていたら白い目を向けられてしまうかもしれません。

それはそれで、恥ずかしいのではないでしょうか。

それに、この会話が嘘泣きであるとすれば、泣き真似がかなり上手ですね

「お母さん、とても悲しい気持ちになって……胸がぎゅっとして……とっても、怖かった……本当に……っ」

「……まふゆは、優しい子ね……まふゆが、お母さんの言うことをちゃんと聞くいい子だったらお母さんも悲しくないのに……」

「……っ」とか「……まふゆは、優しい子ね……」とか、溜めを作ったり、嗚咽の音を入れこんだり、まるで女優です

②まふゆ母は、多くの人間がいる遊園地内で、本当に泣いてしまっていた

もうひとつ考えられるのは、まふゆ母は嘘泣きをしていたのではなく、本当に娘の前で、大衆の前で、泣いてしまっていたのではないかという説です。

その際には、大勢の前で涙を流してしまう恥ずかしさを上回るほどに、過剰な不安やストレスを抱えてしまっていたことが考えられます。

町内会の仕事後にディナー会があったり、ホテルの高級カフェに頻繁に訪れたり、財閥のご令嬢様が通う宮益坂女子学園に娘を通わせていたり、朝比奈家はかなり富裕層と思われます。

『富裕層の母親』としてのプレッシャーは相当なものでしょう。

富裕層ママ友会の同調圧力により、家事も育児もハードルが上がり、常に極限までストレスがかかっていたとしても不思議ではありません。

それこそ、「夫の帰宅が早まる」「子供が自分の言いつけを守らず迷子になる」という一般的な想定外が発生してしまうだけで、思わず人前で泣いてしまうほどに疲れているのだと思います。

「うちの子は、うちの子は、」と『いい子』自慢を日々聞かされ続け、母親としての焦りや劣等感を日々感じているかもしれません。

そんな中、感情が高ぶって出てしまった言葉が

いい子だったらお母さんも悲しくないのに……

となってしまったのなら、何も不思議ではないですし、良くも悪くも子供の心に突き刺さると思います。

つらそうな母親を見ているのはつらいから『いい子になろう』したのではないでしょうか?

まふゆを救うには、母親を救う必要がある?

もし、この仮説が正しいとすれば、

  • 母親は子育てに関して劣等感があり、心身が疲労しきっている
  • まふゆは、母親を助けるために『いい子』を演じる
  • しかし、『いい子』であり続けることに限界が来てしまった

というのが現在の状態かと思います。

  • 『いい子』であるのをやめて、自分の想いを守れ
  • 大好きな母親のために『いい子』でいたい

の反する想いで板挟みになっていることになりますね。

まふゆが『いい子』を演じるのは、苦しんでいる母親を助けるためというのが根本的な理由になります。

ただ単純に母親に反抗し『悪い子』になるだけでは、母親が再度苦しい思いをして、つらそうな母親を見るのがつらくてもう一度『いい子』になり、負の連鎖を繰り返すだけでしょう。

であれば、母親を救うことが、まふゆを救うことになるのではないでしょうか?

今は「まふゆを救う」「まふゆを見つける」というテーマで曲が作られていますが、まふゆが母のために曲を作り、その曲が母を救うという物語になったら感動的ですね。