
昨夜、私は強い眠気に勝てなかった。
「1〜2時間だけ」と仮眠のつもりで目を閉じたのに、次に目覚めたのは朝5時過ぎ。
真夜中の予定も、静けさを味わう余白もすべて飛び越えて、私は“朝”に着地していた。
けれど不思議と、後悔はなかった。
むしろこれは“ご褒美”なのかもしれないと思えるような、清らかな時間だった。
眠ったまま過ぎてしまった夜の代わりに、
私は今朝、そのぶん丁寧に時間を感じることにした。
寝ぼけた頭のまま、洗面所で水を含み、夜にし損ねた歯磨きをする。
その“取り戻し”の感覚すら、どこか心地よかった。 眠った身体が、今ゆっくりと再起動していることを実感できる。
以前の記事に書いたように、もう歯磨きに不安は無いしな。少しのことでは動じない。
歯を磨き終えた私は、湯呑みに緑茶を淹れた。
今朝選んだのは、世界遺産・日光東照宮の献上茶。
癖がなく、まろやかな甘みと柔らかな香気。
雨の夜を越えた静かな朝に、これほど似合う飲み物はなかった。
窓を開けると、ひんやりとした空気が室内に入り込んできた。
冷たくもなく、鋭くもなく、ただ澄んでいる。
それはまるで夜の名残を運んできたようで、私の頬を撫でていった。
外を眺めてみると、昨夜は雨が降っていたようだった。
屋根の縁から、木の葉から、時折ぽたりと落ちる水滴が見える。
街はまだ濡れていて、でもその濡れた世界が、静かに光を帯び始めている。
音もまた、少しずつ変わっていく。
最初に聞こえてきたのは、低く一声だけ鳴くカラスの声。
そのあとに、間を置いて小鳥のさえずりが重なりはじめる。
鳥たちの声が一羽、また一羽と加わり、やがて薄明るい空を彩っていく。
まだ人の足音も車の音も少ない時間。
けれど確実に、世界は目覚めようとしている。
すべての輪郭がぼんやりと、でも確かに動き始める気配。
窓辺に座って、献上茶を一口啜る。
口の中に広がるのは、静けさに溶け込むような甘み。
「一日の始まり」としての清らかさより、
「ただ、ここに在る」ことの穏やかさが沁みてくる。
本当なら起きているはずだった深夜の時間は、もう戻らない。
でも代わりに、私はこの朝を手に入れた。
予期しなかった寝落ちが、思いがけず私を連れてきた場所。
そこには“惜しさ”よりも“静かな幸せ”があった。
今日という日は、まだ何も始まっていない。
けれど、こうして目覚めたばかりの世界を感じられることだけで、
私はもう、この一日が少しだけ好きになっている。
